それぞれの日

昨日は3月11日という特別な日でした。

みなさんはいかがお過ごしでしたか?
私は普段と変わらない、糸つくりの日。
ただ、いつもより宮城や被災地を想いました。

南三陸の母と慕う小山さんは、
午前中は弁当屋でアルバイト、
午後は追悼慰霊祭に行くとおっしゃいました。

私が初めて宮城県を訪ねたのは、
2011年7月11日。
南三陸町の方が避難生活をされていた体育館でした。

それから2013年11月23日に訪ねたのが最後。

1年4ヶ月ほどのブランクがあります。


今、宮城へ行きたくて行きたくて
あちらのみなさんに会いたくて会いたくてたまりません。
「いま」を、自分の目で確かめて
生の声を聞きたいのです。

なにが変わっていて、変わっていないものは何なのか。

今、それから毎日は何を考えてらっしゃるのか。


生きるか死ぬかの分かれ道。


地面が揺れた後家を飛び出し、海の方を見たら
津波がそこまで来ていたので、必死で山を駆け上がった。

サイレンがなる中、私は病院の屋上へ避難した。その後津波が押し寄せ、
階下からベッドごと流されていくひとがたくさんあった。

地震後しばらくは避難所を転々とした。
4月になり、桜が何の罪もなく咲いたけれど、
きれい、とか感動の類の感情は一切沸かなかった。


私はこれらを南三陸町の方々から聞かせて頂きました。


被災地を訪ねて知ったこと。

それらを長浜で時々語り継ぐことも必要なのかなぁ〜
そんなことも考えました。


私の2015年3月11日でした。















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